定まらない人へのエール ~すべては表と裏であり、どう捉えてどう行動するか~

こんにちは。Miyoです。

八ヶ岳西麓・長野県原村は、梅雨明けしたあと日中はかなり暑くなっていて標高1500m近い我が家でも30度の数字をみるようになりました・・

 

世の中が動き出しているなぁという感覚と

自分をくっきりさせて、さらに方向づけしていきたいなぁという思いもあって

もう何年もこういうものは避けていたのですが、いろいろ「ミエル」ような方でご縁があった方にみてもらう機会を得ました。

 

その方は霊感というよりは氣の扱いを長年やっていらっしゃる先生で望診から筆跡、オーラ、手の感じ・・

いろんな視点からおそらくわたしのことをみてくださって

 

定まっていない

研究者すぎる(需要を考えてない)

その割には固いものがあってねぇ・・・(あまりいい感じでいわれなかった)

 

という点から自分が悩みやすい部分を指摘してくださいました。

 

話の中から、どう需要をくみ取っていくのか(ご自身がやっていらっしゃることいろいろ含めて例をあげて)

どう楽しんでいるのか

 

という内容もみせてくださいましたが、

わたしにやったほうがいいよ

この方向がいいよ

って言ってくださったことは

 

実はこのSoulpathをやり始めたころからやってきたことであり、目指してきたことであり

それをまるでやってこなかったかのように言われた(ような氣がした)ことで

久しぶりにとても悲しくなってしまいました。

 

その後数時間、自分の落ちていく感じを観察し

自分なんてってループに入ることで思考停止しようとする流れを修正し

 

自分がそれをどう捉えたか

そして今までやってきた「事実」はどうだったか

 

そういうことを友人に伝えさせてもらうことで、書き出して

自分なりに戻ってきました。

 

特にわたしは、今の方向性としては

応援したい人として、自分の力をちゃんと使ってがんばっていこうっていう人に焦点をあてたいんだなということも

よくわかりました。

 

また、少なくとも自分はセッションのスタイルとして、

その人がやってきたことや取り組んできた事実を尊重するし、

悲しい気持ちを抱いて終わるような進め方はしないということもよくわかりました。

(自戒もこめて)

 

あとは、やはり、「スゴイ」よりも「尊重」大事だなって

能力が肩書がどんなにすごくても「尊重」しあえる関係性でないとわたしは、きびしいなと。

 

言葉もなんでも、すべてに裏表があるし、そこを両面理解したうえで自分はどこをとりたいか、になるんですよね結局

ということも。

 

わたしのレポートセッションで使っているヒューマンデザインでは

自分の道や信念、方向性を「定めてきた」か「定めてきていないか」がわかります。

で、当然ですが定めてこなかった人もたくさんいるわけです。(わたしなんかほとんど定めてない)

 

定めてこなかった人は、定めてきた人をうらやましく眩しく思うし

定めていないということは変わりやすい、ということでコロコロ変わる自分を責めてしまうかもしれないし

定めてきた人からみると「なんだあれ」ってみられることも多くなります。

 

とはいえ、

定めてないということの裏は

 

柔軟性がある

いろいろなところに寄り添える

 

ということですから、きっとこれを選んできた魂は、たくさんの価値観に触れたかったし、たくさんの関係性を楽しみたかったのかもしれないですね。

 

だから、今回の経験は自分自身が定まらないことをさらに一歩自覚し

だからこそ、自分はどうしたいのかをその都度みていく必要があることを教えてもらったのだという、よき学びになりました。

 

これからも、精進します。

 

 

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