最終的には「うけたこと」すら、忘れるくらいの浸透があるといいなという想いでいる。

おはようございます。八ヶ岳西麓・長野県原村は、雪景色でクリスマスを迎えました。

今年もありがたいことに、いろいろな角度からご縁がつながって、セッションをさせてもらいました。

言葉にしてしまうと陳腐すぎて、なかなか書けないけど、いつもいつも、ありがたく取り組ませてもらっています。

 

ご依頼をいただく定番としては、西洋占星術やヒューマンデザインなどを組み合わせて30ページくらいのレポートを作成して解説する

 

自分を深く知り、変容を促すセッション

なのですが、

 

わたしの一貫したスタンスのようなものは、

 

自分で氣づいて、自覚して、行動するためのサポート

 

なんです。

 

それは、自分が一度飲み込まれた依存のような経験から生まれたものでもありますし、もともと持っているわたしの性質でもあります。

 

わたしの中にある課題の一つとして、

「特別扱いされないことを受け入れて、コツコツと地道なことを取り組み、結果として特別な存在になる」

ということはわかっていますが、そこのパターンのようなものは、わかっていてもことあるごとに浮かんできます。

 

でも、自覚していれば、向き合えるし、対処できる。

対処しているうちに、だんだん慣れてきて、「薄く」なってくる。

最終的には、ふわっときて、おわり、くらいな。

 

さて、この中でやっぱり大切なのは

知ったうえで、自覚的に行動していく

ということだと思うのです。

 

そうやっていくことで、例えば、自分としてはそこはあまり得意ではないけれど、あえて やってみる。

みたいなことも、できるようになると思います。

 

もともと持っている性質を受け入れて、行動パターンを自覚して、

筋トレのように自分を鍛えていく。

 

それだけなんだと思います。

 

だから、このレポートセッションや、タロットセッションのようなものは、きっかけにすぎなくて、

それは将来、うけたことすら、忘れてもらっていいなと。

自分のものとして役立てていただけたら本当にうれしいな。

 

タロットを受けたから、この選択をした

 

というより、

 

自分で、この選択をした

 

という想いが残ったほうがその方の中では本当に自分のものになったということですもんね。

 

わたしが、レポートを残すということをずっと続けているのは、時々、見返して「筋トレ」に役立ててもらいたいだけ。

最終的には、そこすら、いらなくなっていけばいいなーって思います。

 

 

 

 

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